【小野】夢の扉の先にあるもの

心理学

 小野さん1

 

1.「これさえあれば大丈夫」はホント?

 

 

誰しも、その時々、手にしたいものを手にいれさえすれば、その後の人生はバラ色になるに違いない、と思う瞬間はあると思います。「好きで好きでたまらない彼女が付き合ってくれたなら」、「この学校に入れたら」、「この資格さえあれば」などなど。

 

 

しかし、それらを手にすることで世界が変わるのは事実ですが、本当にその後の人生はバラ色になるのでしょうか。

 

 

かくいう私も、ベンチャー企業で広報や販促に携わっていたとき、上場会社のIRの仕事に携わりたいと思うようになりました。そして、実際にその仕事ができるようになれば、どんなに人生が変わるのだろうとワクワクし、バラ色とは言わないまでも、順風満帆に人生が進んでいくに違いない、と信じていました。

 

 

実際、ひょんなことから、務めていた会社が上場会社と合併することになり、また、ラッキーなことに経営企画室の配属になりIR業務を任されることになりました。トントン拍子に夢が現実になったのです。

 

 

その時は、「夢が叶った」訳ですから、本当にうれしく飛び上がりたいような心境でした。

 

 

しかし、実際業務が始まってみると、未経験だったこともあり、大変苦労しました。毎日、22時、23時まで働き、精神的にも追い込まれていきました。仕事が終わり会社のエレベータに乗る頃には、精魂尽き果てて壁に倒れこむような時もありました。そして、いつしか「こんなはずじゃなかった」「できるなら、以前の部署に戻りたい」とすら思うようになりました。

 

 

もし、神様がこの状況をみていたらどう思ったでしょうか。「思い通りの仕事ができているのに、もう弱音をはいているのか」「勝手なことを言うんじゃない」と一喝されたに違いありません。

 

 

でも、その時の私は、描いていた理想と現実とのギャップに戸惑い、苦しんでいたのです。

 

 

2.夢の扉の先にあるもの

 

 

話は変わりますが、私は、以前から人前で自身の経験を話すなどして、人を元気づけたり、何かお役に立ちたい、と思うようになり、セミナーや講演ができたらいいなと思っていました。

 

 

そして、実際に1時間ばかり人前でお話させていただく機会に恵まれました。その時も上と同様に「夢が叶った」「イメージしていたことは現実になるんだ」ととても幸せな気持ちになりました。

 

 

しかし、そのセミナーが終わった後、達成感や充実感はほんの少ししかなく、重圧に何とか耐えたぼろぼろの精神だけが残りました。

 

 

「セミナーや講演をしたいと思っていたけど、とてつもない世界に足を踏み入れてしまった」というのが率直な感想でした。

 

 

その時、やりたい、なりたいと思う夢や理想の扉の前まで神様は連れて行ってくれるが、その扉を開け、その扉の向こう側でどう立ち振舞うか、は自分自身に委ねられているのだ、ということを痛感しました。

 

 

つまり、夢をもち、それを叶え、その分野に携わり、人を幸せにし、また自分自身も幸せになるには、大きな覚悟が必要だということに気づいたのです

 

 

「資格」は、世間一般に認められるツールであり、また、活躍できる世界を大きく広げくれるものだと思います。

 

 

しかし、それさえあれば幸せになれる、という保証はどこにもなく、それを持ち活躍していく上では、とてつもなく大きな覚悟が必要であり、むしろ「この世界にずっと携わり、これからも精進していきます。」という約束手形のようなものでしかないのではないか、とさえ思います。

 

 

私のつたない経験から、上のようなことを述べさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 

小野正誉

 

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